デッサン(Dessin)の思い出
幼少の頃、毎日絵を描いていた記憶。新聞広告の裏が白いといつも喜んでいた。英語っぽい字を真似て描くのがお気に入り。幼稚園には行かず、当時、珍しいシュタイナー教育を実践している学校で教育を受けていたが、あの頃の記憶はあまりない。

小学生の時、洋画家の谷本ためひろ先生の絵画教室で3年間絵画を学ぶ。毎週、いろいろな本を読んでくれて、それをイメージして絵を描く。空想しながら絵を描く喜びを感じた少年時代。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をイメージした絵は今でも覚えている。夜空に星をたくさん描いた記憶。

中学生の時、行動美術協会の洋画家:荒木由三先生に木炭デッサンを学ぶ。毎週土曜日、食パン一枚と木炭を持って、自転車で約一時間かけて荒木先生の西向きのアトリエに通っていた。絵を描くのが好きなボクでしたが、約1年間木炭デッサンだけで、辛く、毎回居眠りをして、おでこを真っ黒にする日々。先生は何も言わずじっとキャンバスだけを見ていた。ボクは、この頃から絵を描くのが辛くなり、絵を描かなくなった。とりあえず木炭デッサンがいやで、木炭を描く時の「ぎゅすぎゅす」する音が嫌いだった。あの白い彫像(ブルータス、ジョセフ)たちの陰影を思い出す。

高校生の時、ロックに目覚め、R&B、ヘビメタ中心にバンド活動をする。ホワイトスネークのコージパウエルを崇拝。それと同時にダンスにも目覚め、ブレイクダンス、パントマイム、舞踏を学ぶ。山海塾などに影響を受け、白塗りをして体中にマネキンの手をたくさんぶら下げ、電車に乗るパフォーマンスを一人でする。この辺りから芸術に興味を持ち始め、卒業後、マルセルマルソーのパントマイム学校がパリに出来た事を知り、渡仏しようと決めるが、言葉の問題で断念。学校にはあまり行かなかったが、高校の美術の先生で現代美術家のキタミノルさん(現大阪府立港南高校の先生)から絵を描く事を薦められ、絵も描くようになる。キタさんとは今でも交流がある。

浪人時代の時、ダンスをしながら大阪の中之島美術学院でデッサンや色彩構成を受験の為に学ぶ。デッサンが「木炭」ではなく、「鉛筆」で描く事に楽しさを覚える。

大学時代の時、ダンスをやめ、バンドと絵を描く日々が4年間続く。一回生の頃、デッサンの担当をしている笹尾先生に出会う。デッサンを多角的にとらえ、新しい描き方、空間やモノの見方、空気の流れ、余白の美しさ等を学ぶ。この頃から「デッサン=ドローイング」と理解し、時間があればドローイングをする日々。これが現在の「羊飼いプロジェクト」に繋がり、空間にドローイングする方法が生まれた。

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そして月日が過ぎ、美術作家になり大学に非常勤講師で戻って来た。笹尾先生はあの頃と変わらず、学生達にデッサンを教えていました。彼はボクの肩に手をかけ「しんた よくがんばったなー 羊おもろいなー」と褒めて頂く。いつもの笹尾先生がそこにいました。

その飲んだくれでユーモアが大好きな笹尾周平先生が、
先日他界された。

デッサンの大切さ、絵の面白さを伝えて下さった笹尾先生。3回生の演習で8mm映画を制作したとき、道路のガードレールに座り、釣りをする変なおじさん役で出演して下さった笹尾先生。いつも笑顔で接してくれて、映画の裏話をして下さった笹尾先生。そうそう、映画「男たちの大和」の戦艦大和の館長室に飾っている絵画は笹尾先生が描いた絵です。体の調子が悪くても大学に出向き、若い学生たちにデッサンを教えている姿が思い出されます。

何となく笹尾さんの事、デッサンの事を考えていたら、幼少の頃を思い出したので、
メモ変わりにブログに記載・・・。笹じいありがとう

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by shinta_inoue | 2010-09-01 20:17 | 羊飼いのひとり言
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